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zoom RSS 今更ながら『碁的』の「妄想対局」

<<   作成日時 : 2015/05/09 21:36   >>

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最近、囲碁界には堀義人や百田尚樹、茂木健一郎という実に色のついたメンバーが群がり、色々な意味で非常に面白くなっています。こんな面白い状況を指をくわえて見ているのも勿体ない。というわけでまた囲碁界についても語っていきます。ただ今後は、楽しく語ります。そして楽しんで読んでいただけるようにします。そんな思いで囲碁SNS、goxiにも再登録いたしました。

さて、以下はgoxiで書いた記事を一部修正したものです。これは珍しく?真面目に語っておりますので、こちらにも転載することにいたしました。



>『碁的』直近号で物議をかもした「妄想対局」の問題点を分析します。本論を読む前に、まずこの動画を見ておいてください。


【注意】多少性的な話題が出ています。

http://youtu.be/uhXC5YAjpA4


動画をご覧になりましたか?では、参りましょう。

「妄想対局」はこちらgoxiでもやはり話題になったようで、ざっと見たところ感想は様々のようです。「気持ち悪い」と思った方もいれば、特に何も感じなかった人もいるようです。新しい試みとして一定の評価をする向きもあります。もちろん、こうした感想というものは人それぞれであって別にどれが正解というわけではありません。しかし、『碁的』という雑誌においてあの企画をしたことは、最悪だったと言わざるをえません。


『碁的』は囲碁をファッショナブルに伝えることをコンセプトとしており、そのため雑誌の作り・企画内容・雰囲気は既存の女性誌(特に女性ファッション誌)を彷彿とさせるものになっています。「妄想対局」という企画について言えば、ああした写真は男性誌でよく見られるものの、女性誌でにもこうした企画に近い雰囲気のものは載っているわけで、例えば『an・an』のノリはかなり近い。その意味で確かに「妄想対局」は女性誌的と言えなくはない。しかし問題なのは、『碁的』は『an・an』的な雑誌だったのか、ということです。これまでの『碁的』のカラーは、強いて言えば森ガール系雑誌のユルフワさと、最近復活を遂げた『小悪魔ageha』のファッションの華やかさを合わせたものでした。少なくとも、断じて『an・an』の雰囲気、ノリではありませんでした。
さきほど「男性誌」という言葉を使いましたが、男性誌にだってそうした住み分けはあります。『MEN'S CLUB』は落ち着いた上品な作りになっていますが(ときどき、過剰にモテを煽ったりもしますけど)、今は無き『men's egg』にはギャルの水着とか裸がガンガン載っていました。『an・an』と『小悪魔ageha』、あるいは『メンクラ』と『メンエグ』、どちらが正しいとかどちらの読者の方が良識的だとか、そんな話をしたいのではありません。それは個人の感性の問題ですし、同じ人でも気分によってどちらを読むこともあるでしょう。大切なのは、それぞれにカラーというものがあり、読者はそのカラーを前提にして雑誌を読むということです。


ここで、もう一度、『碁的』は『an・an』的な雑誌だったのか、という問いに戻ります。既に、そうではないと説明しました。そしてここからが肝心なのですが、そうすると『碁的』を手に取る人というのは、『an・an』的な性的な企画が載っているとは思っていないわけです。これは初めて碁的を手に取る人も同じで、あの表紙の雰囲気から中身に性的なコンテンツが入っているとは想像できない(『an・an』の表紙の潔さを思い返してください)。
ここで上の動画に繋がります。性的なものがある、という予告のないところに、性的なものがあるというのは、非常にまずい。性的なものというのは、人の情動を非常に強く刺激します。その刺激される具合は人によって異なります。全然気にもしない人もいるでしょうし、非常に取り乱してしまう人もいる。だからこそ、不意打ちにならないよう、覚悟できるように、予告をしておく必要がある。


性的なコンテンツは法律や条例でも規制されていて、ぱっと思い付くのは「18才未満には販売禁止」という規制でしょう。これは「レイティング」と呼ばれる規制で、本人がどれだけ売ってくれと言っても売ってはいけない。健全な精神的発達のために、判断力の未熟な年少者の自由を、大人がある程度奪っているわけです。こういう規制を、「パターナリズムに基づく規制」なんていったりします。
『碁的』の編集者の一人が、「『碁的』は特にお子様向けといわけでもないので」という弁明をしていましたが、これはレイティングを念頭に置いた発言です。
しかし私がここで説明し、また動画で宮台教授が話していたことというのは、「性的なものを見たくない人のために、あらかじめ性的なものが含まれているものについてはその旨を明示し、別にしておく」という規制の重要性です。こうした規制は「ゾーニング」と呼ばれていまして、繰り返しますが「見たくない人の権利」を守るためのものです。


つまり、『碁的』の「妄想対局」が致命的にまずかったのは、見たくない人への配慮が全く無かったことです。これは、囲碁と性的なものを絡めていいかどうかという問題とは全く別の話です。『an・an』ばりの囲碁フリーペーパーを作ってもいいと私は思います。しかし、それを森ガール系ユルフワ雑誌と見せかけて配ってはいけない。それが、読者への最低限の配慮であり礼儀です。
『碁的』は、こうした最低限のことができていなかった。その点は強く批判されて当然ですし、ここに気付かない、改めないのであれば、雑誌を作って配る資格が無いとさえ言われても、仕方がない。囲碁普及うんぬん以前の問題として、当たり前に守られているルールやマナーは、やはり守らなくては信頼されないのでございます。

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