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zoom RSS ろくでなし子の反権力偽物語

<<   作成日時 : 2015/04/14 18:12   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 1

 ろくでなし子さんのことでございます。ご存知でない方はググっていただくとしておおよそのところを簡単に説明しますと、彼女は漫画家でアーティストです。自分の女性器を3Dプリンターで模したものをデザインして作品を作って展示したり、自分の女性器の撮影データを希望者に配ったりして、猥褻物の公然陳列や頒布の容疑(警報175条)で逮捕されて起訴されてもうすぐ裁判が始まるという状況にある方でございます。彼女に言わせると女性器はそれ自体「猥褻」にはあたらないから自分は無罪ということだそうです。書いているだけでも馬鹿馬鹿しくなってきました。正直まさかこの人物に自分がわざわざ長文で言及することになるとは夢にも思っていなかったのですが、私がしたちょっとしたツイートに対して彼女はだいぶ頭にきたらしく法的措置を持ちだして黙らせようとしてきたことを切欠に、私からの本格的な批判が始まってしまいました。正直なところ、彼女が「偽物」であるということは当初から気が付いていましたので、何も無ければ今さらになってここまで本格的に批判することは無かったのですが、悪いことに彼女が法的措置を持ちだしたせいで、いよいよ彼女の「偽物」ぶりが明確になりこれについては批判しておかないとまずかろうと義憤が燃え上がった次第でございます。ちなみに法的措置を持ちだされた問題の私のツイートは、「ろくでなし子氏は、口では表現規制に反対と言っているが、その振る舞いや他の主張を見る限り、実際には規制賛成派に思える」というものでした。これに対して彼女は「自分は表現規制に反対だと言っている。私が言ってもいない虚偽を拡散するのはやめろ。やめなければしかるべき手段を講じる」と言ってきたわけですが、もちろんそんな脅しは私には一切通じるはずがなく、どうぞ勝手にやってくれ、やれるものなら、と突っぱね、そしてかえって彼女は私からの本格的な批判を浴びる羽目になったわけです。一応年のため解説しておきますが、「あの人はこういう考えのようだ」というのは一つの論評にすぎません。ですから、そもそも「虚偽の拡散」にはあたりようがないのです。「ろくでなし子氏は、○○シンポジウムにて、自分は表現規制賛成派だと言っていました」と私がもし書いたら、これは客観的な事実に反することですから、虚偽の拡散にあたります。この場合は法的措置が可能になるケースもあります。しかし、今回はあくまで評価、論評ですから、その程度の言論に法的措置を持ちだすのは筋違いも甚だしい。これを認めてしまえば、「安倍総理は日本を戦争できる国にしようとしている」という発言にも、安倍総理は法的措置を講ずることができてしまう。なぜなら、彼自身は「日本が戦争することはありえない」と言っているからです。この程度のことは何も法学的な知識が無くても常識で分かりそうなのですが、これさえも分からずに、自分の背後にいる弁護団の存在をアピールして法的措置を振り回すのが、ろくでなし子という人物なのです。



 私が彼女を「偽物」と言ったのはこうした点でも明らからでしょう。自身は表現の自由を唱え権力の不当な弾圧と戦うとアピールしながら、自分への批判に対しては、何ら問題が無いのに公権力を使って黙らせようとする。このような人物には表現の自由を守ることなどできない。むしろ彼女の主張が万が一認められるようなことになれば、今よりももっと酷いことが起こると私は断言します。
そもそも私が彼女を「偽物」と見抜いたのは、北原みのりとの関係です。彼女はかなりラディカルな表現規制推進派として有名ですが、ろくでなし子氏は北原氏の会社で働いており自身の作品を提供していました。これが原因で北原氏も逮捕されたわけですが、それはともかく、北原氏はろくでなし子氏の逮捕の際に彼女を擁護するための記事を書きました。

• →『Love Piece Club - ろくでなし子さんの逮捕に思うこと。 / 北原みのり』
http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/minori/2014/07/15/entry_005228.html


 正直、トンデモと評する以外には言葉が思いつかないのですが、それでも彼女の理論によれば、「ロリ表現を規制しない世間」と「女性器を猥褻とする世間」は、家父長主義によって一本の線で繋がっている、ということだそうです。さて、そうなると、北原氏の理論によれば「女性器は猥褻ではないという主張」は、当然「ロリ表現を規制しろという主張」に、「一本の線で繋がる」ことになるわけです。そして彼女に言わせると、ろくでなし子氏の作品もまた「女性器は猥褻ではないという主張」を帯びていますし、これはろくでなし子氏自身も認めている。さてそうなると、北原氏のロジックによれば「ろくでなし子氏の作品は、ロリ表現を規制せよという主張を帯びている」ということになるわけです。こうした人物に対して、ろくでなし子氏は、「女性器は猥褻ではないという主張」を込めた作品を提供し、店で展示させていた。この意味することは、ろくでなし子氏は北原氏の主張するロリ表現規制の主張に賛同した、ということです。当人はあくまでそうではない、と言います。しかし、それならばなぜ、このような主張をする北原氏に自らの作品を提供したのでしょうか。それに説得力ある説明を加えられない限りはただ口先だけでそう言っていると見られるのは当然です。ちなみに本人は、「保釈の条件で北原氏との接見禁止が付けられているから彼女にネットで言及することもできない」と苦しい言い訳をしています。しかし、まず第一に、接見禁止は会ったり個人的な連絡をすることを禁ずるものであって、表現者同士が公開された文章に対して論評することまでもを禁ずるとは限りません。大体、彼女は現行法上違法の可能性が極めて高い無修正の性器の扱いをして逮捕されたんですから、いまさらそんなことに配慮するのもおかしな気がします。第二に、仮に北原氏に言及できない事情があるとしても、それならば北原氏に言及しない形で、ろくでなし子氏自身は「女性器は猥褻ではないという主張」と「ロリ表現を規制せよという主張」が一本の線で結ばれているわけではないと考えているという旨をしっかり説明すればよいだけです。もちろんそれをしたら、いずれは「じゃあなんで北原に作品を提供したんだよ?」という疑問にも答えなくてはならなくなります。ちなみに彼女はこの点にも予防線を張っていて、「自分は自分と意見の違う人間を批判するような戦術は嫌いだ。あくまで作品で勝負する」などと言っていますが、彼女のツイートを見れば分かる通り、夫婦別姓反対派に対する批判などがしばしば展開されております。
 要するに彼女は、口でいくら否定しても、表現規制賛成派だと見られても当然のことをしており、そのために必要な弁明も行わない、と言っているわけです。そして弁明を行わない理由にも全然説得力はない。最大限好意的に解釈しても、「自分は表現規制反対派だと思っているだけで、無自覚に規制賛成派に取り込まれている気の毒な人」という評価しかできません。しかしそんな気の毒な彼女にも変なプライドはあったのでしょうか、この私の論評に対して反論するのはいいとして、法的措置まで持ちだしたのでございます。結果、私からかえって本格的に批判されるというだけならまだしも、「自分は自分の気に入らない表現は公権力を使って黙らせます」ということを宣言してしまいました。


 さらに恐ろしいのは、彼女は「電車内の中吊り広告をゾーニングせよ」という主張を展開し始めました。いわく「見たくない人の権利のため」であり、「ゾーニングしても特定の場所では表現できるのだから、ゾーニングは表現規制にはあたらない」だそうです。これが無理筋なのは憲法学を多少とも齧ったことがある人なら一目で分かります。いわゆる自主規制はまだしも、法律・公権力によるゾーニングは、表現規制そのものです。そもそも表現の自由とは、何をどこで何時どんな方法で表現しても自由、というものなのですから、このうち場所や時間、方法を制限するゾーニングは、当然に表現の自由を制限するものであり、表現規制以外の何者でもありません。確かに表現規制の「方法」としては、完全発禁処分などに比べて軽いものであることは間違いありませんが、それは方法が軽めであるというだけであって、表現規制であることを否定するものではありません。しかしろくでなし子氏は、場所によっては自由に表現できるのだから表現規制ではない、と言います。「場所を限定される」だけでも、十分に表現の規制になるのは、少し考えてみれば分かると思うのですが。実際、彼女は女性器をかたどったボートを池に浮かべていましたが、あれだって「見たくない人のためにゾーニングされる」可能性はあるわけです。そういう可能性には何も思い至らないらしい。


 このように、彼女の振る舞いや主張というのは、およそ一貫性が無い、ただその時々その論点ごとに自分の好きなことを言ったりやったりしているだけの、幼稚なものでしかありません。恐ろしいのは、この程度の表現者に騙されて、彼女は表現の自由を守るための戦いをしていると本気で勘違いしてしまう愚かな人々がそれなりに現れたことです。彼女の主張に従えば、中吊り広告もできなくなり、また批判意見にも法的措置を持ちだされる、それこそ旧社会主義国のような統制国家が出現するだけなのですが、その程度のことも読みとれないようです。
 こうして考えてみると、現行刑法175条は確かに曖昧なところもありますしもはや現代の価値観には合わない部分があることは認めた上で、まだ現行法とそれに基づく警察や司法の運用の方が遥かにマシであると言わざるをえません。基本的に現在の運用は、「性器およびその模写物を直接見せたらアウト」というもので、これはそれなりに明確な基準として認知もされています。もちろん、この基準が本当に妥当かどうかは議論のあるところでしょうが、しかしそれなりに明確で社会の中に受け容れらてきたのは間違いありません。これまでも、無修正の裏ビデオの販売をしていた人や、数人で乱交パーティーをしていた人達が、この基準によって摘発されてきましたが、これと言って大きな議論にはなりませんでした。もちろん今後、法改正や判例変更の可能性を全て否定するものではありませんが、それにしても控えめに言ったって程ほどに浸透していた基準です。それを一方的に破って、警察を批判し、そして自分の表現は問題ないと言いつつも無自覚な表現規制論をぶちまける。こんな無茶苦茶を擁護するより、現行法の運用の方がよっぽどマシです。
 もちろん、裁判で彼女が無罪になる可能性はある。175条が憲法違反で無効になるという筋はまずありえないでしょうけど、「猥褻」や「公然」「頒布」の解釈によって彼女の行為がそれには当たらないという理屈をつけるかもしれない。個人的には、そのような解釈が妥当ではないかとも思います。しかし、これまでの法運用を前提にする限りは、彼女の行為は違法の疑いが極めて強く、また彼女の主張する「女性器はそもそも猥褻ではない」は流石に認められないでしょう。猥褻では無い場合もある、という判断はするかもしれませんが。また、関連する彼女の主張や振る舞いも、全くどうしようもないものなのは既に述べたとおりです。今回、仮に彼女が無罪になるとしても(そうあるべきだとは思いますが、そうならなくても仕方がないと思います)、それは言ってしまえば「たまたま」であり、彼女の振る舞いと彼女の主張を擁護したり応援したりするのはトンデモないことだということは、重ねて申し上げておきます。


 彼女が無罪になったとしても、彼女の主張は絶対に認めてはいけないものです。間違っても、彼女が今後、表現の自由全般を語る際のある種のシンボルや権威になってしまうことはあってはなりません。そんな自体よりも、現行の方が遥かにマシであると繰り返し強調していきます。現行の体制や権力に問題があるのは常のことですし、それを指摘し是正することは必要です。しかし、反権力や反体制を掲げている側が、それだけで正しいわけではない。それはかつての社会主義国や戦後左翼、さらにオウム真理教などを見て私たちはよく分かっているのですが、まだ反権力というだけで何か期待してしまう人たちが少なからずいます。こうした勢力を批判することも、また必要なのです。

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コメント(1件)

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あなたは、最終的にろくでなし子さんにどうしてもらいたいんですか?
オナホールと呼ばれるものを作っている会社はろくでなしこさんと同じってことでしょうか?
ジャメス
2015/07/31 17:00

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