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zoom RSS 危険な権力は橋下徹だけではない

<<   作成日時 : 2013/01/25 21:26   >>

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 あけましておめでとうございます。相変わらず気まぐれな更新になると思うけれど、本年も気長にお付き合い願えれば幸いです。



 新年最初の記事としては本来なら文楽問題の続きを書く予定だった。しかしご存じのように桜宮高校で痛ましい事件が起こってしまった。そしてこの事件に関係することでどうしてもこの海原が論じなくてはならないことがあると、そう痛感した。だからそのことを真っ先に論じたいと思う。

 まずはこの海原の問題意識についてざっとお話ししよう。今回の事件を受けて、橋下徹市長は自らが先頭に立って指揮を執る姿勢を見せた。事件の分析・解決・事後処理にいまひとつ腰の上がらない教育委員会に対して、入試中止措置を強く提案した。市長には教育委員会に命令する直接の権限は無いが、橋下市長は予算執行権を背景にしており、提案は実質的な命令とも見えた。これについて相変わらず、橋下は強引・身勝手という批判がされている。そしてこれもまたお定まりのように、橋下徹が振るう権力は危険だといういつもの批判に収束していっている。私が問題にしたいのはこの批判であり、つまり橋下徹の権力を危険だと強調することによって、大切なことが見落とされてしまうと考えるのだ。


 そこで「大切なこと」とは何か、なぜそれが「見落とされてしまう」のか、より詳しく論じていきたい。 まずは「大切なこと」の話をしよう。先に結論を言ってしまうと、これはまさにエントリーのタイトルそのもので、「橋下徹の権力だけが危険なわけではない」ということだ。もう少し普遍化させて、「危険な権力とは公権力だけではない」と言ってもいい。この話は、哲学ならばフーコーの権力概念の拡張、憲法学ならば「権力類似の力」、こうした研究に繋がる話である。
 権力とは平たく言えば「無理矢理にでも相手を服従させる力」ということであり、一番分かりやすくまた権力の最初期の定義でもあるのが、公権力である。例えば国家権力としての軍隊や警察権だったり、今回のような地方首長の予算執行権のことである。これらが強力なものであり、使い方を間違えれば弱い個人はひとたまりもなく潰されてしまうような、そうした本来的に危険なものであることは論を待たないだろう。しかし、「無理矢理にでも相手を服従させる力」はなにも公権力に限らず、例えばマスメディアがこれにあたるのもまた自明の理だろう。他にも大企業や、あるいはもっと小さな範囲ならば学校のクラス内の中心メンバーや会社のリーダーなどなど、こうした「権力」はいたるところに存在している。我々はこの無数の権力をときには使う側にまわり、ときには権力に命令される、そうした極めて複雑な権力との関わり方をしているのである。そしてどの権力が良いものか、必要なものかは、そのときどきによって違うし、また人によっても違う。クラスのいじめっ子は、彼
自身はその権力が必要だと感じるだろうが、他の大多数のクラスメートはその権力を迷惑に思うだろう。そうなるとクラスメートは教師の権力でいじめっ子を押さえ込んでもらうことを願うだろうけれど、そうなるといじめっ子にとっては教師の振るう権力とは嫌なもの、不必要なものであり、自分を不幸にするものだと言える。
 この点が大切なのである。権力はなにも公権力だけではない。無数の権力は、それぞれに良い作用・悪い作用をする可能性があり、またこの良い・悪いも人によって異なるのである。


 ここまでくれば、橋下の権力の危険性を叫ぶことで、なぜ上述の大切なことが見落とされてしまうかは明らかだろう。それは、目立ちやすい権力の危険性を指摘さえすれば他の権力の危険性は考慮しなくていいという、こうした短絡思考に陥りやすくなるからだ。そして桜宮高校についての言説を見たとき、まさしくこうした短絡に陥っているものが相当の数にのぼることに気づく。
 確かに公権力は危険だ。ましてや橋下徹のように派手なパフォーマンスを伴えばその危険がなおのこと高く感じられるのは分かる。しかし、これまでに明らかになっている桜宮高校の内部状況、つまり教師が数十発も生徒を殴り怪我をさせそのことを学校側は黙認、それどころか握りつぶしてさえいる、こうした状況を見るに、この学校の状況・構造は極めて強い権力を体罰教師に与えていると言える。そしてこの権力が極めて危険であることも誰の目にも明らかだろう。しかし橋下の権力の危険性を叫ぶがあまり、こちらの権力の危険性をすっかり忘れてしまっている言説が一定数ある。



 反権力それ自体は重要ではない。個人の幸福を重視する現代社会で我々がなすべきことは、いかなる権力であれ権力が弱い個人を潰すことを防止することである。そして権力が無数にある今の状況でそれを実践しようとすれば、結局は権力Aによって権力Bを牽制する、そうした方法しか無い。裏を返せば、権力Aを批判することは権力Bを応援することだと言える。橋下徹の権力を危険と言うのは結構。しかし、それは桜宮高校内にある危険な権力を応援することに繋がらないか、その点について省みる視点くらいは持っていただきたいと思う。その視点が無いなら、結局彼らは無自覚のうちにある権力の手先となっているだけであり、とても社会的・公的だと評価されることはない。


 最後にやや蛇足ながら。今回の件で一部の法律家、はっきり言えば弁護士の中に、橋下を批判してこうした「無自覚な権力への応援」に陥っている人が見られる。海原は橋下を支持しない。だからこそ言わせてもらう。その行為は自らの公共性・社会性を毀損し、橋下徹の権力を再強化する愚行である、と。

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