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help RSS ボンヤスキーと王立誠

<<   作成日時 : 2008/12/20 15:40   >>

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 先日のK-1決勝戦、反則攻撃を受けて立ち上がらなかったレミー=ボンヤスキーに批判が集中しているようですね。まあ、美学が無いとかそういうことなんでしょうけど。


 それで囲碁界でもそんなことあったなー、と思い出しました。「棋聖戦ダメ詰め事件」。棋聖というのは、賞金4000万円を超える日本囲碁界最高峰のタイトルですが、その最高の舞台で、なんとも後味の悪い事件が起きたのです。


 簡単に前提知識を解説します。囲碁は陣取りゲームですから、最終的に「これ以上打ってもどちらも土地が増えない」という状態に至るわけです。そうなると、お互いに「終わりですね」と言って、あとは、土地にならない場所(これを「ダメ」と言います)を交互に打っていって、どっちがどれだけ土地が多いか確認する、という流れになります。
 お互いがダメを打つ(「ダメ詰め」)のは、空いているところがあると土地が数えにくいからでして、これはホントの単純作業。「終わりですね」の後に、仮に「あれ、ここ打ったら俺の土地増えるじゃん!」と気づいても、もうその手を打つことは許されません。


 さてここまでが前提知識。事件とは、簡単に言えば、「終わりですね」の後に、当時タイトルホルダーであった王立誠(おう・りつせい)が、そういう「土地を増やす手」を打っちゃった、というものなんです。もちろん、通常であれば単に反則負けになるだけなんですが、なんと今回は、「終わりですね」を言ったのは、挑戦者の柳時栫iりゅう・しくん)だけだったんです。柳さんは、合意ができているものと思いこんでいて、相手の「土地を増やす手」を防ぐ方法があったんですがなんとなく打たなかったようです。合意ができていなければ、ダメ詰め以外も許されますから、王さんは反則にはなりませんでした。
 まあそれで普通にダメ詰めだけすれば柳さんが勝っていたところ、王さんが勝っちゃったわけです。先に4勝すれば勝ち、というタイトル戦ですが、この一戦で流れができてしまったようです。


 とまあ、「ルールには則っているけどなんとなくずるい感じがする」という点で両事件は似ていますが、個人的には、ボンヤスキーはOK,王立誠はアウトと考えています。


 ボンヤスキーは、正にルールを遵守したわけです。本来なら、あのような悪質な反則があればその時点で失格でもおかしくないわけで、あの後にあえて闘うか否かは、もうボンヤスキーにしか選択権がありません。ダメージや、流れが止まってしまったことなどもあるでしょうから、戦わないという判断を下すのそれはそれでありです。


 一方で、王立誠プロの場合は、一言で言って「ルールの隙間を縫った」ということでしょう。「双方の合意」などという曖昧な基準で、しかもそれを判定する人も設けられていないわけですから、こうしたトラブルはルールの不備から起こったわけです。いわばルールのエアポケットみたいな状況であり、その点でボンヤスキーの場合とは異なっています。


 あのとき、少なくとも相手の柳さんは合意ができていると思いこんでいたわけで、実際お互いの打っている手は素人から見ても単なるダメ詰めであることは明らかでした。このような状況にあって、「俺は合意なんてしてないからこの手を打っちゃうよ〜ん」というのは、確かにルールに違反してはいないのですが、ルールの「趣旨」には反していると思います。
 つまり、「ダメ詰めはもはや「勝負」ではなく単純作業であり、その過程で何か手があっても打たないのがいい」、という哲学の下にああしたルールがあるわけですから、「俺は合意していない!」ということを楯にとって、最後の最後でああいうことをするのは、法の抜け穴を探す悪徳商法のような感じがするのです。


 もちろん、王立誠プロのやったことはルール違反ではありません。というか、そもそもああした状況を規律するルールそのものがなかった、というべきでしょう。しかし、そうした「ルールの無い状況」でこそ、その人の美学とか哲学とかが現れるのではないでしょうか。その意味で、彼は本当に男を落としたと思います。
 翌年、彼が山下敬吾プロに惨敗して棋聖を失ったのも、なんとく因果応報な感じがします。


 まあ今さら王立誠プロを叩いても仕方ないのですが、こういうみっともない真似だけはしてほしくない、というここと、ボンヤスキー選手を責めるような、お門違いの批判をファンはすべきではない、ということだけは強調しておきます。  

                               
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タイトル (本文) ブログ名/日時
棋聖戦駄目詰め事件〜終幕〜
 色々と紛糾しましたこのテーマですが、ひとまず今回で終わりにさせて頂きます。まずは、過去2つのエントリー及びコメントをご覧ください。 ...続きを見る
囲碁お見知り置きを
2009/01/09 21:03
棋聖戦ダメ詰め事件補足〜囲碁ファンのお子様メンタリティー〜
http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200812/article_14.html http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200901/article_3.html http://igo-omishiriokio.at.webry.info/200901/article_7.html ...続きを見る
囲碁お見知り置きを
2009/02/15 11:22

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内 容 ニックネーム/日時
王立誠-柳時薫の事件については、勝手に終局だと思い込み、なおかつ初心者でも分かるアタリをすっぽかした柳時薫に非があります。

そもそもダメ詰め前に合意を求めるという慣習が奇妙なのですが、ダメ詰め前の合意が残っていた当時でも、石がアタリになったら手を入れる、あるいはアタリになる前に手を入れておくというのが、正しい終局作業です。

王立誠が毅然と対応したことで、ダメ詰め前合意→グダグダの終局処理という奇妙な慣習に終止符が打たれました。偉大な功績と言うべきでしょう。みっともないという点で言えば、終局間際に油断したり、アタリを見逃したりする方がよほどみっともないと思います。「ルールの不備」を放置していたプロ碁界にも罪があります。

ボンヤスキー選手の件は存じませんが、ルール通りに正しく行動した王立誠を非難するのも「お門違い」だと思います。
hidew
2008/12/20 22:17
はじめまして!。コメントありがとうございます。


なるほど、そのような考え方もありますよね。そもそもルール自体がおかしかった、というのは異論のないところです。


ただ、少なくとも「そうしたルールを前提として全ての棋士が戦っていた」という事実があり、そのことが柳さんの油断を生んでしまったわけです。とすれば、柳さんにも非はありますが、彼の個人的な未熟さでは片付けられない問題だと思います。


やはり、私は王プロが「つけこんだ」という印象がぬぐえません。
あと細かい話ですが、、終局の合意は無くなったのでしょうか?NHK杯ではやってるようなんですが。


ただこの問題は難しいですね。また補足エントリーを書きたいと思います。
皆さんもご意見ありましたら是非お聞かせください。
海原
2008/12/21 12:44
2002年まで事件が起こらなかったことが不思議ですね・・・
アタリの石に柳時薫が手を抜いたあと、
王立誠が審判に抜いていいですよね?みたいなことを言ってた時は少しイラッとしました。取るつもりならすぐに石を抜いてほしかったです。

今はたしかダメを詰め終わってから石を取り上げる
だったと思います。
終わりましたね?(終わりですね)と相手に確認するのは手があるかどうか聞いてるのと同じような意味なのでダメをつめ終わるまでが勝負ということになってるのだと私は思ってますw
yasuma
2008/12/21 18:54
「相手のミスや油断につけこむ」というのは勝負事の本質です。王立誠のやったことは相手が定石だと思い込んでいた「アタリの見逃し」に対して、「アタリの石を抜く」という新手を放ったということにすぎません。悪しき慣習(定石)の思い込みにはまる恐れは他の人にもあったと思いますが、王立誠は悪くありません。

現在のNHK杯では、ダメを詰めるときも交互着手で秒読みの対象になります。王立誠-柳時薫事件のようなトラブル(終局の合意をめぐって立会人の裁定が必要になる)はもう起きません。プロ同士の場合、両者が同時に「有効着手のとりあえずの終了」を認識するので、阿吽の呼吸で合意しているように見えるのでしょう。
hidew
2008/12/22 23:54
 コメントありがとうございます。

>>「相手のミスや油断につけこむ」というのは勝負事の本質です>>

 ということには完全に同意します。しかし、それはあくまで「ルールの範囲内(正確には、ルールの解釈自体には争いが無いという前提)で」、ということではないでしょうか?。かつてホリエモンが嫌われたのは、まさしくルールの隙間を縫うかのような行為をしたからでしょう。

 少なくとも、ルールの不備から生まれた状況を利用する行為を、新手と同列に論じるのは無理があります。

 あと、合意のシステムは無くなっていないようですよ。日本囲碁規約九条-2をご覧ください。
海原健叡
2008/12/23 00:07
>http://www.nihonkiin.or.jp/joho/kiyaku/kiyaku.htm
> 第九条−2
> <解説>
> 1「駄目詰め」、「手入れ」は必要着手
> 2 対局停止後での「駄目詰め」、「手入れ」は規定外

「手入れ」(=有効着手)が残っているのに、「終わったことにしましょうよ」というのが昔の合意でしたが、近年の合意は「手入れもダメ詰めも完全に終わり」という確認です。全く内容が違います。

「終わったことにする」というのは一種の談合ですね。自分たちが楽をするために談合をしていて、誰かが裏切ったら、非難されるべきなのはどちらでしょう。ダメ詰め前合意→グダグダ終局という談合は好ましい状況だったんでしょうか。

王立誠-柳時薫事件は「終局の合意を確認する」あるいは「アタリにツグ」ということさえやっておけば起こりませんでした。ルールで詰め切れない問題、厳格に対処すると莫大なコストがかかる問題に関して、モラル(良識)を問題にするのは分かりますが、あまりに簡単に対処できる問題を、モラルや美学で論じるべきはないと思います。
hidew
2008/12/23 22:06
ヤスマさん、返事遅れてすみません。おっしゃる通りあそこで確認したのはなんだかね…。本人もマズイと思っていたのではないかと勘ぐっちゃいます。

hidewさん、いつもありがとうございます。規約のことは私もちょっとまだ良く分かっていないのでなんとも言えませんが、「停止」というのは、海外棋戦で行われるような「終局の確認」とは違うのではないでしょうか?

あと、詳しくはまた別エントリーで書きますが、私は当時のルール、慣習がおかしいという点については全く同感なので、そこを力説されても返事しかねます。
私が問題としているのは、おかしいルールであれ少なくとも全ての棋士がそれを前提として対局をしていたという「実情」があるのだから、それに鑑みると王プロの行為は「当時の状況の下では」アンフェアではないか、という点です。
海原
2008/12/26 01:40
その前に柳時薫が待った(はがし)をやってる(当時の記録者も待ったを確認)から、その時言えば勝ちが確定にも関わらず、一回見逃したので2回目は許せなかったのでしょう。
http://star.ap.teacup.com/abudoira/318.html
kosakow
2009/06/21 02:49
 古いエントリーにコメントありがとうございます。

 どうやらそういったことも影響しているようですね。しかし、一度は許したわけですから、そのあとになって、しかもOKになる、ということ自体が意味不明ですね。
海原
2009/06/23 01:01
もうお前は黙っとけ 頭悪いねんから
海原のアホ
2011/01/22 22:21
終局の同意事件は実は坂田栄男と林海峰の名人戦?でもありました。昭和50年代かな。「ありませんね」に同意しなかったどちらかが「手にした」事件です。後味は悪くないでした。手がないと思い同意を求めたが、手があると主張して手入れをしなかった相手を粉砕したのですから、読み勝ちでした。
ここでこの問題を斜めから見てみましょう。手入れをすれば自分が半目負ける場面で、同意を求めたとして、同意してくれたらラッキーですよね。林・坂田はなかなか難しい詰め碁?でした。
結論は、同意を求める=手があるかどうかを教えてくれ、とお願いする場合もあるので、そもそも同意を終局としないこと。30年前を知る前期高齢者の感想でした。
ノンタくらしき
2012/03/17 22:48
 コメントありがとうございます。そうでしたか、そんなことがあったとは。そのケースは確かに全く問題は無いですが、そこでルールの不完全さについて議論は起らなかったものか。以前、石田章九段が「囲碁界の真相」でこの問題について語っていましたが、「日本人的恥の精神が囲碁界全体に無くなってきていることの表れ」と書いていました。昔は、そうした「美学」が「ルール」の隙間を埋めていたんでしょうかね。

 囲碁ブログを新たに立ち上げましたので、よかったらよろしくお願いいたします。
海原
2012/03/28 19:43

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